【特定秘密保護法】これは憲法改正への一里塚だ

政府は去る17日に特定秘密保護法の運用基準を公表した。秘密対象に防衛、外交、スパイ活動、テロ防止の4分野55項目を挙げたが定義は抽象的で秘密の範囲が明確でない。省庁に都合の悪いことは解釈次第で秘密にできるとの解釈も可能だ。
秘密の指定期間は「適切と考えられる最も短い期間」でその解釈も各省庁にゆだねられ、秘密指定は原則5年ごとに見直すが都度延長ができるという、ならば省庁の判断次第で半永久的な秘密が公然と認められるとの解釈もできる。
30年以内の文書は首相の同意を得て廃棄できる。これは国民の目に絶対触れない秘密の存在が正当化されるということだろうか。
首相が秘密法成立直前に「秘密指定が恣意的かどうかは事後的なチェックにかかる」といい、不備を補うものとして持ち出した不正を防ぐため政府内につくるチェック機関として内閣府に設けた「独立公文書管理監」と「情報保全監察室」は各省庁に秘密を開示させる強制力がないなど権限が限られる。

なぜこんな不明瞭な法案がまかり通るのか、それは政府や首相が国会・国民を軽視するからで、国会討論で首相が質問に答えず自分の思うことだけ話して議論を終了するがその象徴だ。特定秘密保護法は外務省や防衛庁、警察庁などの情報を政権に集約することだ。これでは官邸の権限強化による意思決定や情報はブラックボックス化され、官邸への情報一元化が進む反面国民の知る権利が損なわれることが避けられない。首相が「国民の生命と財産を守る」と法制定の意義を強調していた秘密保護法だが、国民を守ることを大義名分に掲げ安全保障にかかわる情報や権限を首相が一手に握る仕組みを作っただけで、むしろ国民の「生命、自由及び幸福追求の権利」が損なわれる危惧を感じる。

集団的自衛権容認の理論的根拠
首相が自分の思うことだけ話し、論拠を説明しないことで議論が噛み合わないまま国会を通過する法案の最たる弊害を象徴するのが集団的自衛権行使容認に向けての憲法9条の解釈変更だ。
政府は「武力行使の新3要件、特にわが国の存立が脅かされ国民の生命自由及び幸福の追求を覆される明白な危機があるという条件を満たせば限定容認のもとに集団的自衛権の行使が可能である、言い換えると集団的自衛権にかかわる他国領域への自衛隊派遣は、国際法では武力行使とみなされる行為であっても新3要件を満たせば憲法上は許される」という。その論拠は集団的自衛権の解釈を歴代内閣が継続してきた「他国防衛説」から「自国防衛説」に変えたことにあるらしい。この集団的自衛権の解釈変更によって、「新3要件は集団的自衛権の国際法上の学説『自国防衛説』に該当するから、国際法上や国連憲章上での国家固有の自衛権に相当する。それゆえ9条の枠内での自衛の措置の拡充にあたる」から違憲でないとの解釈のようだが、集団的自衛権の解釈変更という「キーワード」の説明がないから国民の議論が紛糾したのである。
集団的自衛権の解釈変更が説明されていれば自衛隊の海外派遣に関しても、「(日本が集団的自衛権に参加する場合は)日本国民の権利が根底から覆される恐れがある場合などの新3要件を満たせば自国防衛説の枠内にあるから自衛のための措置を行使しても憲法上認められる必要最小限度の武力行使になるから集団的自衛権にかかわる他国領域への自衛隊派遣は、新3要件を満たせば憲法上は許される」という政府の論点を国民は理解できたであろう。
仮に集団的自衛権変更を認めるとしても、集団的自衛権行使が第9条の理念(軍事行動の放棄)を守り、第9条で許される範囲内での解釈変更であることを明白に示すことが必要だ。集団的自衛権行使を縛る要件を「国の存立や国民の権利が根底から覆される明白な危険がある」という漠然とした表現ではなく明確化すべきであり、自国防衛説に依る集団的自衛権行使は日米同盟維持のため集団的自衛権とすべきで、その行使の相手国は米国に限定し他国とは同等でないことを明文化すべきだとの国民の議論が湧き起こったことであろう。

憲法の精神に反する集団的自衛権の解釈変更
第9条や第13条に見られる平和憲法の精神は戦争の被害を受けた日本国民や、多くの国に迷惑をかけたその責任は自ら武力行使を始めたわが国にあり二度とこうしたことが起こらないようにわが国は軍事力の放棄を決意したことに宿る。それゆえ歴代内閣の解釈変更も個別的自衛権行使の枠を逸脱することはなく集団的自衛権での武力行使は「自衛のための必要最小限度の範囲を超える」としてきた。今回の集団的自衛権行使容認は国民の権利・義務に重大な影響を及ぼす恐れがある。かかる変更および憲法の基本的な運用の変更は、首相や内閣の権限外である。内閣は行政権で環境変化に対応する裁量権は持つがそれは法律の枠組みや憲法の規定、法の精神に従わねばならない。現に憲法98条「この憲法は国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅および国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と定めている。政府が憲法解釈を変更するだけで集団的自衛権の行使容認を可能だとするのは明らかに法の精神に反する。立憲国家では憲法解釈の公権力は最高裁判所にあり行政機関に属する内閣にはない。内閣の解釈改憲は法の適用権限を越えている。
今回の憲法解釈変更が現行制度では自衛隊の海上警備行動や治安出動には閣議決定が必要で政府が手續を踏んでいる間に事態が悪化する恐れがあるとのことで具体的な事態をあらかじめ閣議決定しておいて首相の承認のもとにいつでも防衛相が発令できるように手續を簡素化したいというのなら、「危機」を口実に憲法が国民の手から最も遠いところで変えられようとしていることに他ならない。なぜなら危機や有事とは一時的な例外状態であり平時に戻れば旧に復することが約束されなければならない。目的遂行のため権力を一本化し国民の権利を制限したとしても一時的のものであらねばならない。

国家権力の内閣集中を防げ
特定秘密保護法は国民の「知る権利」を制限し、国家安全保障会議は「言う権利」を制限する。安倍政権の質問にまともに答えない国会討議で「聞く権利」も損なわれる。つまり国民を「見ざる・聞かざる・言わざる」の状態に追い込もうとしているかのようである。首相が描く『美しい国ニッポン』とは戦前・戦中日本の「みんなが一緒の美学」が国民を支配し、同調しないものには非寛容で排除する社会と同義語なのか。
首相は武力行使の新3要件によって集団的自衛権行使が憲法13条後段の「生命・自由及び幸福追求の国民の権利」を今より確実に守れるという。だが
「生命、自由及び幸福追求の権利」とは個人の自己決定権やプライバシー権を保障するということで、前提は国や自分を「知り、議論し、決める」権利が保障されていることである。個々人が一人一人の違う生き方を保障するには権力の介入があってはならない。首相が情報や権限を一手に握り国民を支配しようとする価値観は、そのような支配的価値観と異なる価値観を持つ人には受け入れられないだろう。逆に支配的な価値観を持つ人が集る社会では価値観が異なる人間とは共存できないのは世界の歴史が示す通りだ。そうならないように価値観が異なる人間を許容し共存するための基本的枠組みを持つ政治体制が自由主義をベースにした立憲主義である。基本的人権の保護と権力分立制はそのための工夫であり政府に対抗する役割を果たすものだが今それが侵されようとしている。その意味で司法が違憲の行政処分を求められたときに統治行為論にこだわらず適正な判断ができるかどうか個人的に興味津々である。

特定秘密保護法、国家安全保障会議、集団的自衛権容認の一連の流れで国民の「言論の自由」制限した後に安倍首相が目指すのは本格的な憲法改正であることは明白だ。いま日本が守るべきものは何かを国民一人一人が真剣に考える時期にある。日本は「平和憲法」の下で平和主義を追求し国際社会の再建に大きな貢献をしたことを誇りに思うべきである。

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この記事へのコメント

初めての書き込みすごく迷いましたが、沢山のこと今まで抑え込んで来てこれ以上抑えこんでたら壊れてしまいそうで…勇気出してみました(*・∀<*)

書き込みしたのも、うりたんhさんのブログに励まされたからなんですよ♪(゚▽^*)ノ⌒☆
自分を責めるのが癖になっていたんですけどそんな事を続けていても良い事なんてない何もないまま時間が過ぎちゃう…。
そんなの勿体ないと思えたんです(o゚▽゚)o

だから私の背中を押してくれたうりたんhさんと話してみたいです(o≧∇≦)o

maki2.co@i.softbank.jp(@は小文字にしてください)

迷いながらも少しお時間いただけたらと書き残しておきます。楽しみに待ってます!

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