【集団的自衛権行使】武力行使の条件「限定容認」を制限して平和憲法守れ

首相は7月1日、閣議決定で「あらゆる事態を想定して国民に命と平和な暮らしを守るために切れ目のない安全保障法制を整備する必要がある。万全の備えが戦争の抑止力につながる」として憲法解釈を変更した。
この閣議決定では武力行使できる条件として「わが国またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」があり「時の政権がわが国の存立が脅かされ国民の生命自由及び幸福の追求を覆される明白な危機があると判断」すれば個別的自衛権、集団的自衛権、集団安全保障の区別なく「武力行使は自衛の措置として憲法上許される」とした。しかし憲法9条によれば自衛隊は受動的な防衛、すなわち専守防衛が本来の姿で自衛権発動に基づく自衛隊の武力行使は外国による組織的・計画的攻撃への最小限度の反撃に限られる、即ち個別的自衛権以外の武力行使を禁じているものと解釈される。つまり戦争を放棄し交戦権を放棄している憲法9条は海外派兵を想定していないから、憲法の精神として海外での武力行使を禁じていると解釈すべきである。
1.歴代内閣の憲法第9条解釈
日本の安全保障施策は複雑で専門家でなければ理解できないのだが、今の自衛隊は警察予備隊として誕生し、その後保安隊、自衛隊と名前が変わり、92年国連平和維持活動(PKO)協力法が成立して武力行使を伴わない海外派遣が可能になった。その後も自衛隊を海外に派遣する特別立法が相次いだ。歴代内閣は平和憲法の精神を踏まえながら日本を取り巻く安全保障環境の変化に、「武力行使との一体化論」「周辺事態」「非戦闘地域」など日本の独自理論を積み上げて対応してきた。武力行使を伴わない安全保障への参加としての自衛隊のイラク派遣はこうした歴代内閣の苦慮の賜物である。武力の放棄を決意した日本は憲法9条の解釈変更を重ねながら集団的自衛権や集団安全保障での武力の行使を禁じて平和憲法の根幹となる「過剰な自衛への抑制」を維持してきたのである。
憲法9条の解釈で、日本の歴代内閣はこれまで日本が直接攻撃された場合に反撃する自衛権しか認めてこなかった。それも個別的自衛権行使の3要件のなかで「わが国に対する急迫不正の侵害があること」という条件の縛りの中での個別的自衛権しか認めず、それを使うときも「自衛のための必要最小限度の範囲を超えない」とした。つまり海外で武力を使う集団安全保障は禁じられると解釈してきた。それを顕著に示すのが72年の砂川事件での裁判所判決を踏まえて政府は「国民の生命などが根底から覆されるという急迫、不正の場合」に自らを守る個別的自衛権は使えるが集団的自衛権は「憲法上許されない」と結論付けたことだ。

2、阿部内閣の憲法第9条解釈
だが今回の安倍内閣閣議決定では集団的自衛権行使に向けて憲法9条の解釈を以下のように変更した。
(1).武力行使の新3要件、特に「わが国の存立が脅かされ国民の生命自由及び幸福の追求を覆される明白な危機がある」という条件を満たせば限定容認のもとに集団的自衛権での武力行使が可能とする。つまり集団的自衛権にかかわる他国領域への自衛隊派遣に関し、国際法では武力行使とみなされる行為であっても新3要件を満たせば憲法上は許される。
(2).集団安全保障での武力行使についても、武力行使の新3要件を満たせば武力攻撃が発生した直後から「憲法上許容される」。つまり国際法上で集団安全保障に分類される行動であっても新3要件を満たせば「憲法上はわが国による自衛の措置となる」となるから他国の領土、領海に派遣する自衛隊が非戦闘地域、戦闘地域の如何にかかわらず武力行使が可能である。
(3).集団的自衛権の国際法の規定は「他国に加えられた武力攻撃を阻止するための幅広い権利」であるが、日本がこれに参加する場合においては「日本国民の権利が根底から覆される恐れがある場合」などの新3要件を満たさないと日本の武力行使は認められない。即ち、日本への直接攻撃がない限りは海外で武力行使することはない。逆にこの要件を満たすなら日本への直接攻撃がなくとも自衛権が行使できるから、集団安全保障に関してもこの要件を満たすならば必要最小限度の武力行使は認められる、その際の武力行使は自衛権の範囲に限定されるから「武力行使を目的に戦闘に参加することはない」という。

実に分かりにくい解釈変更に関する説明だが、これによると憲法9条が定める受動的な専守防衛の枠を超えて、日本への直接攻撃がないにもかかわらず集団的自衛権や集団安全保障を行使することは従来の国際協力などの枠を超えた海外での武力行使を可能としかねない。

3.集団的自衛権行使は必要か
歴代内閣の憲法解釈を踏襲すれば安倍政権が言うところの「他国の攻撃によってわが国の存立が脅かされる」ことで「生命自由および幸福追求の権利が根底から脅かされる明白な危険がある」場合とは国家の存立自体が脅かされる事態であり、個人の生命や自由を国家は守らなければならないとした13条に則り個別的自衛権の行使とみなすことは可能であるから集団的自衛権行使の必要性はない。集団的自衛権とは自国への武力攻撃がないのに他国のために武力を行使する権利、つまり軍事権である。憲法は軍事権を排除しており「必要最小限度の武力行使」の範囲内に限定(具体的な内容説明がなくよくわからないが)して行使するという条件をつけても自衛権の範囲を超えるものだからその行使は憲法違反となろう。というのは集団的自衛権行使容認の狙いが日米防衛協力のためのガイドライン改定を通じてアジア太平洋地域で軍事的に中国に対抗する米国との協力拡大にあるからだ。憲法に根拠のない法律レベルの規制(限定条件)では解釈拡大の歯止めにはならない。

4.安倍内閣の憲法解釈の背景
憲法は原理原則を定めたもので、時代に合わせて変わっていくものだが『安倍内閣の憲法解釈』とは、以下のように考えられる。
安倍内閣は、憲法9条に関するこれまでの歴代内閣の憲法解釈は「個別的自衛権以外の武力行使を禁じている」だけで憲法は集団的自衛権の行使を明示的に禁止していないと見做している。そこでこれまでの「自衛権行使の3要件」に変えて、新たに「武力行使の3要件」を作り「憲法前文や13条の個人の生命や自由などを国家が保障するために必要な自衛の措置としての武力行使」というあらたな概念をつくった。「自衛の措置としての武力行使」とは「わが国と密接な関係にある他国への武力行使」があった際、時の政権が「わが国の存立が脅かされ国民の生命自由などが根底から覆される明白な危険がある」と判断すれば武力行使を認めるということである。
上述の72年の判決に対する『安倍内閣の憲法解釈』解釈は、国民が平和的に生きる権利を示した憲法前文や生命・自由・幸福追求の権利尊重を定めた13条の趣旨を踏まえると憲法は「必要な自衛の措置」を禁じていないとしている。だが72年解釈では集団的自衛権を「憲法上許されない」と結論したが、安倍内閣は安全保障環境の変化を理由にわが国またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃でも「急迫、不正の事態に該当するものがある」として「武力行使が憲法上許容され」という。つまり集団的自衛権、集団安全保障は「自衛権でなく武力の使用」にあたるという理屈を作り、「個別的自衛権行使の3要件」を集団的自衛権、集団安全保障に参加できるように、これまでの「自衛権」を「武力の行使」に書き換えたに等しい。だが必要最小限度の武力使用とは何か。これまでは日本が直接攻撃された際の防御としての個別的自衛権として武力行使には歯止めがかかったものが、集団で戦争に加われば、戦争は日本の思惑のようにはいかない可能性もあろう。米国や東アジアの諸国は日本が地域の安全保障でより積極的な役割を果たすための第一歩を踏み出したとみなし日本の大規模で高度な軍事力が地域で使えるようになると期待しているからだ。

5.平和憲法を守るために国民は立ち上がれ
最小限度の武力行使、つまり「武力行使に歯止めをかける」ことと冒頭に書いた「抑止力を高める」こと、つまり軍事力の強化はトレードオフの関係にある。政府は「他国の戦争に巻き込まれる可能性と今回閣議決定による抑止力で戦争が起こらない可能性を比較して、抑止力の方が国民を守るために大きい」と判断したわけで、これは海外での武力行使を禁じた9条の解釈を大きく転換するものである。「平和憲法の精神」の根幹を揺るがす集団的自衛権の行使容認は国民の総意による憲法の改正手続によるのが妥当だろう。
だがこれまで歴代内閣が「集団自衛権は行使できない」と憲法を解釈してきたということは今回の安倍内閣による「集団的自衛権の行使容認」との憲法解釈も法理論上は何の問題もなく、国民として受け入れないわけにはいかなくなった。だが長らく続いた日本の平和主義を転換しかねない安全保障に関する問題がほとんど議論されずに憲法解釈を変え,それだけで集団的自衛権の行使容認が可能だというのは、「危機」を口実に憲法が今後も国民の手の届かないところで変えられるということだ。戦争をするかしないかを決めるのは国民の責任という自覚を持って国民一人一人が主体的に考えることが必要だ。安倍内閣は日本が長らく維持してきた日本の「過剰な自衛への抑制」の枠を外そうとする。今や武力行使に際しての「限定容認」なるものを行使する手段を制限するために、国民が立ち上がる時だ。

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