原発再稼働判断の責任はどこか?議論の究極は代議制民主主義の是非へ

原子力発電所の再稼働に関し政府と原子力委員会で意見が相違している。野田首相は再稼働の判断では、規制委が主導的役割を果たすという。政府の細野原発事故担当相は「実質的に規制委の見解が再稼働の判断になる」など今後の再稼働は規制委が判断するとの立場に立ち、計画中で着工前の9基の原子炉設置について「原子力規制委員会から意見を求められれば新設すべきでないとの意見を出す」と述べた。原子力規制委員会の田中俊一委員長は、規制委員会は原発の安全性審査にとどめ再稼働の判断は政府が責任を負うとの考えを強調した。どちらが責任者なのか。
常識的に考えると、規制委員会は原子力という限られた範囲での技術の安全を確認し、政府が技術の安全に加えて、その他の生活基盤が国民を脅かさないかをチェックして国民が安心して生活ができることを確認して原発再稼働を判断することになるだろう。原発再稼働の判断において、原子力の安全は必要条件であるが十分条件ではないから、規制委員会が原発再稼働を判断する立場にないということになる。こんなことが理解できない民主党ではないのに、何故「原発再稼働は規制委員が判断する」との立場をとるのか。

政府はこの夏、原発再稼働に討論型世論調査を実施、少数者の原発反対意見に配慮して「2030年代に原子力発電所の稼働をゼロにする」目標を織り込んだエネルギー・環境戦略を一度は決定した。土壇場で見送りになったが‐‐‐。私は以前のブログで、「国の将来をきめるエネルギー戦略を国民に丸投げするとは政府は無責任」と書いたが、政府の考えは「国の将来をきめるエネルギー政策だから民の意見を問う」たのであろう。
その背景は、日本社会がブレークスルーして、過去の半世紀とは違った形になるという考え方だ。情報化の進展により人々は政治に関しても自由に意見を発信できるようになった。国民の意見は多様であり、あらゆる国民の意見を吸い上げて政治が実現するには制約が多い。特に「生活の安心」といった個人の主観や感性が基本となるものは民意をすべて実現できる時代ではなくなった。ましてグローバル化、技術進歩・情報伝達の速さで民意は状況次第で時々刻々と変わるが政策は一度決まると長い年月、国民の生活を縛る。そのような社会の変化に政治が対応するには、民主党は「国民の自主性多様性を認める社会とは人々の自己責任の範囲を大きくして政治の役割を小さくすべきだ」という考え方に至った結果、原発再稼働は政府が決定しない方がよいと考えたのではないか。しかしこれは代議制民主主義の放棄につながりかねない。

国民の同意と迅速性を両立させる方法は今のところは代議制民主主義しかない。
代議制民主主義は国民の考え方をいくつかに集約して、日常的な意思決定は集約された選択肢から選挙で選ばれた少人数で決定する仕組みである。多数意見に従った政治をするか、少数者の声をくみ上げるかで選挙の形が異なる。この制度の中で民主党が少数意見(マイノリティ)の国民の声をも大事にしたいなら「政策決定過程を重視して話し合い、協調による政策決定を重視するコンセンサス主義の政治形態」である選挙制度、即ち、比例代表制(有権者の意見相違を重視、選挙での集約を最小限にする)に変えることを掲げ国民に信を問うてはどうか。ただし、選挙に勝っても今の国会運営の様に強引で拙速な決定は国民に政治への不信感をもたらす。

最後に、民主党に言いたいことは、人間の過去の経験は其の人生に限られており知識も自分の過去の経験に規定される。ならば大きな変動が起きれば後で考えれば誤った判断をしても不思議はないのだが、この時期の変化をブレークスルーだと信じて「今は過去の日本と違う」と考えてしまわないことだ。「科学技術」にブレークスルーはあっても、人間のかかわる要素が大きい「社会の変化」は時間軸でみれば過去の積み重ねの延長線上にある緩やかな変化にすぎないからだ。

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