続「谷垣さんがかわいそう」について

「谷垣さんがかわいそう」について」について
≪正直な所、変な権威とかではなく、実際に頑張った人が報われる社会になって欲しいものですね。3年間野党の党首というリスクを背負って頑張って、いざ総理の椅子がちらつくと、ノコノコ出てきた方々に対しても、何となく複雑です。ここは谷垣さんで一致団結して、政権奪還に望んで欲しかったです≫

頑張った人が報われなくては、人々のモチベーションが下がり、その結果、社会が非効率になり衰退への道を歩むことになります。日本のGDPは15年前と変わらない中で世界のGNPは倍増している。相対的に経済が衰退する日本は旧来型の「富の分配」での不平等と違った形で「頑張った人が報われなく」なっています。それは生殺与奪、生きていくための富の奪い合い、動物的本能での戦いで、力の強いものが生き残るという世界ですが、趣旨が違うので別途この話は考えたいと思います。

自民党の長老に限らず、自らの能力を超えた欲を望むとか、努力しないで美味しいところだけ頂こうとか、努力と進取の姿勢をなくした人間は既得権にしがみつきたがるようです。日本の政治では昔からの「世襲制」がこの典型です。このような形で作られた組織は限られた少数の人間が密室で物事をきめ、組織の構成員に服従をもとめます。このような体制は、戦後の自由主義・民主主義への移行で行動や思想が過去の共同体的束縛から解放され、個性化や多様化した価値観が定着した今の社会では多くの国民に違和感があって当然です。このような国民から遊離した政治がうまくいくとは思えません。

昨日のNHKでの自民党総裁候補討論会で、代表選候補の石原さんは、長老の支持を得た理由として「自分は元運動部(空手)だから先輩を敬い、服従する精神があるから‐‐‐」と言っていました。ではなぜ、先輩・上司にあたる谷垣さんが立候補するというのに従わなかったのか?。運動部においては確かに集団が規律を守るということが戦う集団として効率的に力を発揮できる方法の一つなのですが、上から与えられた規律が、自分たち戦っている者にとって「今、最も効果的なもの」なのか、もっと良いやり方があるのではないかという、問題意識を持たない石原さんが不思議です。まぁ、これは言葉尻をとらえた言いがかりかもしれませんが‐‐‐。
品のない譬えで恐縮ですが,石原さんが『時代劇の映画で、殿様に「苦しゅうない、もっと傍に寄れ」と言われてにじり寄っていく下僕か妾女』のように見えるのです。

話は変わって、今日の格差社会をつくった「行きすぎた資本主義」の根源として非難の声があるアダム・スミスは著書『道徳感情論』で「人々の虚栄心が、競争を作り、競争が社会を進化させる。そこには正義という倫理がなければならない」という意味のことを書いています。(スミスは経済が成長することを前提としていたと思えるので、相対的に経済が縮小する日本には当てはまるかどうかは別にして‐‐)。
それを思えば自民総裁選挙に5人が立候補するのは容認できるとしても、そろって、谷垣さんの功績をたたえ、政策主張が大同小異なのは残念です。唯、石破さんは三段論法よろしく、論理的に自己を主張していて、是非の判断は別に解りやすい主張ですが、総裁になったとしても、よいブレーンがいなければ、谷垣さんの二の舞になりそうで‐‐。

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