【福島原発事故調査継続】事故現場検証で原因の解明と責任明確化を

民主党は東京電力福島原子力発電所の事故調査を継続するとの意向を発表した。事故再発防止の立場から見れば当然である。4つ(政府、国会、民間、東電)の東京電力福島原子力発電所事故調査報告書はいずれも原発事故への備えを怠った政府や東電の責任を激しく追及した。今後は事故発生現場の検証を中心とした検証により原因を解明し責任の所在を明確にすべきである。

1.事故責任の明確化が必要
福島原発事故が世界の耳目を集める大事故になった直接の原因は福島第1原子炉の空焚きである。東北電力の女川発電所は福島第一原発と同系の沸騰水型軽水炉が3つあるが、福島と同程度(最大567.5ガル)の震度にもかかわらず冷温停止させた。
福島原発での現場での作業や作業指示、指示系統に人為的ミスはなかったのだろうか。もしあったとすればその原因を現場のみならず事故当事者である東電の企業統治にまで幅を広くして解明すべきである。いずれの報告書もこの観点での調査が中途半端で原因と責任を明らかにしていない。尤も原発に関する国を含めた長期的は政策の誤りは戦略の誤りであり、東電や保安院、原子力委員会など戦術部門では補えない。まして作業現場ではなおさらである。なぜなら現場は体験により積み上げ学習したこと以外に対応出来ない。従って既存の経験の枠組みの中では力が十分発揮できるがその前提が崩れれば対応のしようがないからである。このように考えれば原発の政策策定に注目して4つの事故調が事故への備えを怠った政府や東電の責任を追求するのは理解できる。しかし、事故発生現場での些細な不注意、ミスが大きな事故になることは多々ある。現場で何が起こり、どのように対応したのか、何故そうしたのか(作業選択の妥当性)。その背景にある東電の企業理念、企業倫理、組織構造、組織行動をも究明して責任の所在を明らかにすることは、事故再発防止の面から避けて通るべきではない

一例をあげると、福島第1原発でなぜ注水を止めて空焚きを起こしたのか。一般的に原子炉の様な自動操業設備では設備の異常な温度上昇時には注水を止めないのは現場作業員の常識だという。現場にはその知識があるにもかかわらずなぜ注水を止めたのか、だれが指示あるいは許可したのか、責任はどこにあるのか明らかにすべきである。このような点で当事者たる東電の事故調査報告は極めて遺憾である。

2.水素爆発は強力なリーダーシップがあれば防げたかもしれない
想像するに、上述の例を含めて原発事故発生直後からのバックオフイス混乱の根源は事故当事者の東電本社サイドでの事故収拾方針や目的のあいまいさにあったのではないか。すなわち事故当事者たる東電が事故対策として何を優先的に対応すべきかの判断ができなかったことだ。地域や住民の保護なのか、放射能放出の喰い止めなのか、原発という施設の保全なのか。そもそも何事においてもそうだが、目的の単一化とそれに対する現場力の集中が迅速な業務遂行の要諦であるにもかかわらず、本社側では、情報収集システムが満足に機能しない中で原発事故の被害状況を軽視し、「主観と独善に基く希望的観測」でもって事故対応を指示、それが現場と本社での事故対応への価値観統一を妨げ、失敗の連鎖へと導いた。

其の例が、3月12日夜の首相官邸からの武黒一郎フェローによる福島原発の吉田一郎所長への注入中断指示と吉田所長の現場の独自判断による対応である。これは東電の企業体質を如実に表している。
この時の黒武フェローの注入中断指示は科学的原理や論理でなく官邸内という場の情緒や空気に支配された現場への指示であった。このような指示がまかり通るのは東電の中では科学的思考や論理的思考が組織の志向として共有されていないという証である。裏に潜むものは、東電の権威主義というのか縦組織が特段に強い故に科学的合理性が疎んぜられ、その場の雰囲気に支配される企業体質なのだろう。たとえば、会議の場で特定のだれかがモノを言えばそれに反対できない雰囲気が醸し出されてしまう。雰囲気が支配する場所ではあらゆる議論は科学的原理や論理でなく最後は雰囲気で決定される。吉田所長の行動もことの良し悪しは別にしてそう考えれば理解はできる。黒武フェローの指示は雰囲気が支配して科学や論理を軽視した主観的な思いつき指示そのものだからだ。

3.大奥的な組織二重構造が問題
この企業体質は何に由来するのだろうか。東電は官僚制に似た合理的な中央集権的ピラミッド構造の中にインフォーマルな人的ネットワークが機能する特異な二重組織なのだ。学閥を中心とするエリート集団による強固な人的ネットワークの形成が、本来垂直的階層分化で権限を行使すべきものがこの人的ネットワーク集団の根回しと腹芸によるインフォーマルな意思決定システムが幅を利かせているのではないか。これが中間組織のトップに適切なリーダーシップの発揮を妨げるのだ。このような二重組織においては個個人は組織への忠誠と奉仕を第一義とするのでなく、組織と個人的つながりを共生させるために人間関係をフォーマルな組織より優先する。組織目標と其の達成手段についての合理的・体系的思考より人間関係による意思決定が優先されるから全社的に目標を共有できず、意思決定が遅れ、無用のコンフリクトを生む。それが今回時事故での一連の初動対応の遅れを呼んだのだろう。

4.業績評価のあいまいさが責任不在の企業体質を生む
この様な二重組織は、業務遂行において一定の組織構造による運用や、学習・経験のフィードバックで進化するシステム的運用ではなく、恣意性の高い個人依存型になっていることを示唆する。業務遂行が個人の経験重視の帰納的方法によるものであれば、現場でのその都度の調整が要求される。その場合、指示のあいまいさを個人的人間関係によるインフォーマルな人的ネットワークで補完するようになる。このような個人によるインフォーマルな指示系統は、融通無碍な行動を許容するけれども原理原則を欠いた組織運営を助長し計画的・体系的な業務遂行を妨げる。同時にインフォーマルが故の責任の不明確さがあいまいな評価を生み、評価のあいまいさは論理より声の大きなものが得をする世界を作る。業績評価のあいまいさは信賞必罰が持つ合理性を排除し評価そのものが上層部の恣意性に依存することになる。これが必罰を怠り、組織のモラルを低下させる。東電の企業体質が事実を正確かつ冷静に直視するしつけを持たないため想像の世界で語り本質にかかわりのない発想が語られる。
国有化をめぐる東電の今回人事で、福島原発事故の当事者の一人である副社長を次期社長にしたかったという東電側の意向がその典型だ。

5.学習軽視の企業体質は同じ失敗を繰り返す
尤も、このような組織の二重構造は昭和年代の繊維、鉄鋼、通信などのリーディングカンパニーにもみられた。同時に社外の優れた人間から学ぼうとする姿勢があった。論理的・合理的思考があったということだ。ただ後に粉飾決算が露見し倒産した繊維大手は社外の優れた人間は自社に取り込み手駒として使おうした。学習しようとする姿勢がなかったのである。
一番重要なことは、責任のあいまいさは一方では物事を科学的、客観的にみるという姿勢が欠けていることを意味する。失敗を反省し、改善策を学ぼうしないでうやむやのうちに闇に葬る。学習なき組織は同じ失敗を何度も繰り返すものだ。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック