(藪にらみ放談) 欧州危機を『資本論』的に考える

マルクス思想の根底は労働商品の二重性である。

マルクスの最大の発見である「労働力商品の二重性」とは「使用価値をつくる労働」と「価値をつくる労働」である。商品の本質的価値は交換価値にあり、ある使用価値(商品)がほかの使用価値(商品)と交換される比率としての量であらわされること。次に、資本は価値増殖するもので、この価値増殖運動が資本を更なる資本に転化する。しかし、ここで大切なことは高利貸資本や商業資本を除き資本は流通からは生まれないとしていること。
ここで、上で述べた「商品の本質的価値」を「貨幣」に、「使用価値」を貿易などの非貨幣的変化とみなして「経済」に、「価値増殖する資本」を信用創造に置き換え「金融政策」に見立ててみる。マルクスの言うところの労働力の使用価値と交換価値の相違があるということが、貯蓄を資本に向かわせ「既得権者たる資本家にのみ利益がうまれ、それがまた新たな資本として蓄積する」ということになる。

このような観点から、今回欧州危機を考えれば強者による弱者からの搾取が根本にある。南欧諸国に緊縮財政を求めるのではなく欧州を一体化・統合化した構造改革なしには根本的解決とはならないだろう。
そもそもは統一通貨ユーロが各国通貨の交換の自由度を拘束したことで欧州各国の非貨幣(使用価値)の効用を下げ経済効率が低下した。本来、価値を増縮(経済成長)する役割(政策実行)を持つECBがユーロ圏内で統一的に行う金融政策は「ユーロ圏諸国の間で使用価値の体系(経済構造)が大きく違うため、共通の金融政策では各国の国家資本増殖(経済成長)をうまく改善できなかった」ことに加えて「ユーロ圏諸国間の経済・政治状況の差異が拡大すればするほど深刻な事態に陥った」と解釈できる。
また欧州連合統合での共通通貨対象国の拡大は為替レートという市場の商品交換機能を否定するもので経済的に劣る国でも強い国と同等の条件で資金借り入れができることから一物一価という貨幣の本質的価値が見失われ、使用価値を高める労働規律が弛緩した。この様に労働力の使用価値と交換価値の体系が乱れ景気状況が国ごと異なったため、本質的価値と使用価値の差から生まれるはずの利益(財政収支)が一元的ではなく国によってまだら模様になったのだ。

通常、各国で異なる景気変動が起きると国際間で貿易や資本移動が起こり交換価値を是正しようとする。しかしECBの統一的金融政策のもとでは各国は景気調整のための金融政策を柔軟に講じることができない。この場合金融政策の裁量の余地を残すには資本流入や貿易を規制するしかないのだがそれも封じられている。
結局今回欧州危機は、経済や生産や貿易など非貨幣的変化が主因というよりは、統一通貨という貨幣的要因が金融政策の自由度を束縛したことから資本蓄積ができなかったことにあると考える。つまり「政府の基準となる社会的な価値尺度が自由を包括できてこそ、政府は一定の役割を果たすもの」なのだ。肝心なのはその手法で政府が画一的に国民を強制する範囲が広がるほど自由が抑圧される。本来の政府の役割とは国民万人によって決定され公表ルールに制約されることでありその範囲内で地域社会、牽いては個人の自由な意思決定ゆだねるべきだということであろう。このような本来あるべき政府の対極にあるのが国民の自由度を束縛する「人による支配」である。まさに南欧諸国はそのようになりつつある。そいう意味で今後の政治課題は一つの欧州としての「社会的正義」と「社会的安定」をどのようにして確立するかであろう。

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